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「面倒臭い」という言葉が人をダメにする?

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※このはてなブログの記事は、私が書いた上記の「公式サイト兼ブログ」の記事とほぼ同じです。なお、上記の方は体裁を整えているために、読みやすくなっていますので、ノンストレスで読まれたい方は上記をご覧ください。


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「面倒臭い」という言葉が人をダメにする?

「『面倒臭い』という言葉が、人をダメにするんだよ」 そんなことを言われたらどうだろうか? 私は認めるだろう。極度の面倒臭がり屋なので、言い返すのも面倒になり「はいはいそうですね、私がダメな人間ですよ。」と受け流すのだ。

 

とはいえ、「『面倒臭い』っていう一言が、人をダメにするんだよ」という言葉は、人間性まで否定しているようで暴言とも受け取れる。 確かに「これお願いね」と言われた時に、「めんどくさいなぁ」と言ったらそりゃ怒られるだろう。そのくらいはわかるし、わざわざ喧嘩を売らなくても良いだろう。 ただし、心の中でつぶやいたことに対し、「面倒臭いと考えるべきではない。人としてダメになるぞ。」だとか言われるのは、どうにも納得できない。

 

 

自分に「面倒臭い」という気持ちを禁止しても無意味

心が清らかな人は「面倒臭い」と思ってしまう自分をせめたり、「私ってダメなのね」だとか「面倒臭いって思わないようにしなきゃ」とか自分を責めてしまうかもしれない。 また、真面目な人は「面倒臭い」というようなネガティブな考えはダメだと考え始めていたところ、変なポジティブ教に洗脳されてしまい、しまいには「お疲れ様」を「お元気様です」とか「お楽しみ様です」とか言い始めるようになってしまうかもしれない。

 

暑い日に「『暑いですね』と言ったら余計暑くなるからダメ!」とか言って、「寒いですね」と言っても寒くなるわけがない。 心の底から信じることができれば寒くなるのだろうが、「暑いって思っちゃダメだ!」なんて思えば思うほど暑さを感じ、暑い気がするだろう。 それと同じような話であり、「『面倒臭い』って思っちゃダメだ」と思っても、面倒くさくなくなるわけでもなく、その気持ちが消えることもない。むしろ悪化するかもしれない。

 

 

「面倒臭い」気持ちが人類を進歩させている

もし、人類に「面倒臭い」という気持ちがなかったらどうなってしまうのだろう。少なくとも、あなたが今見ているようなスマホやパソコンは生まれなかっただろう。 日本人であれば、きっとまだ縄文時代のように野山を駆け巡り、集団で動物を襲い、作った槍で狩っていただろう。

 

いや、それさえもしていないかもしれない。集団で武器を使って狩りをするようになったのは、きっと一人一人で追いかけて羽交い締めする方法ではうまくいかず、このやり方だと「面倒臭い」と思ったから、より効率化しようと協力し始めたのだと思う。 根っからの面倒臭がり屋であれば、生まれてきて「手を動かすのが面倒臭い」とか「息するのが面倒臭い」となってそのままお亡くなりになってしまうと思う。だが、そんな人は滅多にいないだろう。

 

ほぼ欲がない人間だったとしても、誰でも「何か食べたい」「排泄したい」「寝たい」という欲求は、大概の場合は生きていれば誰でもあると思う。 だから、昔の人も「動くの面倒臭いな」とは思ったとしても、「何か食べたい」という生理的欲求を満たすために、面倒臭さ度で言えばまだマシな狩りの方法で動物を狩っていたのだろう。 一人一人で動物を追いかけて羽交い締めする方法は「面倒臭いな」と思ったからこそ、きっと羽交い締めする面倒くささを回避するために、武器を作り、集団で狩をするようになったのかもしれない。

 

つまり、「面倒臭い」と言う気持ちこそが、人類を発展させているとも言えるだろう。だからこそ、自分が「面倒臭い」と思えば思うほど、成長していると言うことにして、自分を認めている。

 

 

数学の公式も「面倒臭い」から生まれたはず

今でも理不尽だったと思って根に持っていることなのだが、小学6年生の時、算数の問題を解いている時、面倒臭い解き方を強要された。 公式を使えば簡単に解けるし、ダラダラ書かなくても解ける問題だったのだが、「書き直せ」と言われたのだ。 そこで「えーめんどくさいなぁ」と言ったら、「めんどくさいとはなんだ!」と大声で怒鳴られたのである。今までその先生に怒られたこともなかったし、仲も良かった方だったので、突然のことで驚いた。ショックというよりも怒られた意味がわからなかった。

 

きっとその先生としては、「つべこべ言わずに習ったやり方で解け」ということだったのだろうが、私としては答えが出ればそれで良いと思っていたので納得できなかった。 確かに習ったやり方も知っておいた方が良い。それはわかる。だが、習っていない公式で解いて怒られるのは理不尽だ。 それに、先生をからかったわけでも、反発したわけでも、新しい公式を自慢したかったわけでもない。ただただ、「面倒臭い」と感じ、もっと楽な方法で解きたかっただけなのだ。 きっと公式を生み出した人も、「この解き方、面倒臭いな」と感じ、「もっと速くて簡単で楽な解き方ないかな?」と思い、公式を生み出したのだと思う。

 

 

「面倒臭い」と感じない人はどういう人か?

「面倒臭い」と感じない人は、どういう人だろう。「今のままで良い」と、現状に満足している人だ。 「肉が食べたい」と思えば、動物を羽交い締めしていて狩っているかもしれないし、もはや動くのもだるいからその辺に生えている草を食べているかもしれない。数を数えようとすれば、いつまで経っても指計算しているかもしれない。

 

これらはあくまで大げさな話であるが、「面倒臭い」と感じない人は、きっと仕事などでも「こういうもんなんだ」とそのまま捉え、変えようとはしない。面倒だとは思わないからだ。

 

そう言う人は「この紙を全部、シュレッダーにかけてもらえますか?」と言われた時、前任者が1枚1枚シュレッダーにかけていたからということで、1枚1枚かけるかもしれない。 前任者や周りの人に「1枚1枚シュレッダーにかけなさい」と言われたわけでも、「紙詰まりを起こすので1枚1枚シュレッダーにかけてください」と貼り紙があったわけでもないのに、「前任者がそうしていたから」ということで、何も疑問も持たずにそのまま引き継ぐのかもしれない。

 

もしその人が少しでも「1枚1枚シュレッダーにかけるのは面倒臭いな」と思ったら、とりあえず何枚か一気にかけてみたり、紙詰まりが恐ければ説明書を読んでみたり、周りの人に聞いてみるだろう。 だが、本人が「面倒臭い」と思わなければ疑問にも思わないし、「そういうもんだ」と思いって現状維持することになる。

 

 

「面倒臭い」を回避するために行動する

大事なのは、「面倒臭い」からこそどうするのか?という、考えや工夫なのだと思う。 「面倒臭い」ことは、そのままにしておいても「面倒臭い」ままだ。

 

夏休みの宿題のように、後回しにすればするほど、面倒臭くなることもある。 初日に仕上げてしまう人の中には、本当に勉強が好きな子や、夏休みを全力で楽しみたい子、宿題をただただやりたい子などもいると思う。 ただし、そのような優等生的な考えの子しかいないとは言えず、「後回しにすると面倒臭いから」という考えがあって、初日に仕上げてしまう子もいるだろう。私も割とそうだった。「面倒臭い」とすぐに思う自分をわかっているからこそ、そういう発想になる。

 

もちろん、面倒臭がりの人でも、機銃や対象はそれぞれ違う。「最終日に宿題をやる」ことよりも「初日に宿題をやる」ことの方が面倒ならば、「最終日に宿題をやる」ことを選ぶだろうし、「宿題をやらずに先生に怒られる」ことよりも、「宿題をやる」ことが面倒ならば宿題はやらないだろう。 上記の場合、いずれの方法にしても、ただ「面倒臭い」と思って何もしないのではなく、何かしらアクションは起こしている。宿題を初日にするにしろ、最終日にするにしろ、やらずに先生に怒られるのしろ、本人の「面倒臭い」を回避した結果がそれなのだ。

 

 

「好きなことならば面倒臭いと思わない」って本当?

「好きなことならば面倒臭いなんて言わないはず」「面倒臭いと思った時点で、好きなことではない」なんていう人もいる。きっとその人の中ではそうなのだろうが、私はそうは思わない。

 

例を挙げるが、私は動物が好きだ。そして、とある動物園に行きたいと思っている。朝9時から開園するとわかったが、朝から並ばないと入れないという。その時、朝が苦手な私はこう思うだろう。「早起きするのも朝から並ぶのも、面倒臭いな・・・」 もしかするとそれどころか、服を着替えて、家から出ることさえ「面倒臭いな・・・」と思うかもしれない。動物園にはものすごく行きたいにもかかわらず、ものすごくだるいのだ。 では、私が動物が好きではないかと聞かれたらそうではないし、動物園に行きたくないのかと聞かれたらそうでもない。

 

「そんなことで面倒臭がるなんて動物好きとして失格だ!」などとクソリプを飛ばしてくる人もいるかもしれないが、好きに基準なんてないだろう。 きっと「早起きして、動物園に並ぶのが面倒だ」という気持ちと、「動物園の動物園が見たい」という気持ちを天秤にかける。それでどちらか重い方を選ぶという、ただそれだけのことだ。

 

また、「早起きして、動物園に並ぶのが面倒だ」という結論になっても、色々と調べて他の動物園に興味を持てば、他の動物園に行くという選択にもなるし、「来週ならば空いている」などという情報を得れば、そのような行動をとるかもしれない。

 

「〇〇が好き」「〇〇がしたい」という気持ちがあっても、それを叶えるためにはそれなりの障害がある。 「神様からの挑戦状ね」だとかポジティブに考える人もいるかもしれないが、いくら好きなことをするためとはいえ「面倒臭い」と思う人もいるだろう。 ただその「面倒臭い」という気持ちを超えてまでしたいのかとか、他に方法を試すのかとか、それだけの話なのだ。

 

 

「面倒臭い」からこそ「どうすれば良いのか?」

「面倒臭い」と思わない人はおかしいだとか、退化するとは思わない。一般的に、ほとんどの人が何かしら「面倒臭い」と思っているはずだ。 そうでなければ「これだけでラクラク!オールインワンゲル」だとか「スマホだけで1億円」だとか「このブレスレッドをするだけでモテました」なんて表現に惹かれる人いない。 「面倒臭い・・・もっとこの工程すっ飛ばして、楽できないかな・・・」と思う人がいるからこそ、そういうものに需要がある。

 

そのまま調べもせずに飛びつく人は頭が退化している気もするが、あとあと「解約する時が面倒だ」と思わないのであれば、それはそれだろう。 それに、いつも笑顔で心の中でも「面倒臭い」と思わない人がいるとする。そういう人は、「面倒臭い」から「どうすれば良いのか?」の切り替えが、自分でも気がつかないくらいの光速なのだろう。 「面倒臭い」と思うこと自体は悪くない。

 

ただし、放っておいても何も変わらない。だからこそ、「面倒臭い」と思った時こそ、「では、どうすれば良いのか?」と問いかけることが重要になる。 きっとそのアイディアは、自分や誰かをより快適にさせるか、何かしらを進歩させるヒントになることだろう。「『面倒臭い』は人をダメにする」とは言い切れない。使いようには、人を進歩させるのだ。

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