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「コーヒー”で”いい?」という質問に「コーヒー”が”いい」と答えないと怒られるのは理不尽なので適切な答え方を考えてみた件

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「◯◯でいい?」と聞かれ、
「うん、◯◯でいいよー。」と答えたら

「『◯◯”で”いいよ』って何?!
『◯◯”が”いい』でしょ?!

と怒られたことがある人は
いるだろうか。

私はある。
本当に理不尽だ。

そもそも「◯◯でいい?」と
聞いてきたのはそっちじゃないか。
何かやましいことでもあるのか。

「◯◯でいい?」という質問に
「◯◯でいい」とただそのまま
オウムのように返しただけなのに
なぜ怒られなければならないのだ。
オウム返しは会話の基本だろ。

そんなことを子供の頃から
思っていた。

今もそして、
そんなことくらいで怒る人を
不思議に思っている。

ただ『で』と『が』が変わっただけなのに
顔を真っ赤にして怒る人がいる。
日本語とは難しいものだ。




確かに、教育面では
指摘する理由もわかる。

大人になっていちいち攻撃されないように
防御として教えているのかもしれないし、
何事も自分で決める人に育てたいからだろう。
というのも、言葉のイメージがやや違うからだ。

「それ”で”いい」は投げやりな気もする。
「本当は他のものがいいけど、
まぁ、嫌じゃないし悪くはないかな。」
というようなイメージ。

「それ”が”いい」は前のめりな気がする。
「私はそれを物凄く希望しているから
是非ともよろしくお願いします」
というようなイメージ。




マインド面から考えてみても
「それ”で”いい」よりも
「それ”が”いい」と言って
いた方が良い気がする。

自分で人生を決めている感じがするし、
せっかくいうのであれば、
そういう癖をつけておく方が良い気もする。

例えば
「何が食べたい?」という質問に対して
「パスタ”が”いいな」というのと
「パスタ”で”いいや」というのでは
言葉に含む意味合いが変わってくる。

「パスタ”が”いいな」と言えば
発言者は「自分で選んだ」という
気持ちになるし、
聞き手も言葉通りそのまま
「パスタがいいのかー」と
受け取ることだろう。




だが、今述べたケースは、
「”何が”食べたい?」
と聞いているような
どんな答え方でも良い質問だ。

そう聞かれれば大概の場合は
「◯◯がいい」だとか
◯◯が食べたい」と答えると思う。

「”何が”食べたい」の”何”の部分に
”パスタ”を挿入して
”パスタ”が食べたい」と
言っただけなのだから。

それに、「◯◯がいい」と言った方が
お互い気持ちが良いだろう。




とはいえ、だからと言って
「◯◯”で”いい?」と言う質問にも
「◯◯”が”いい」と答えなければ

怒られても仕方がないとは言い切れない。

そもそも質問のジャンルが違う。
「◯◯”で”いい?」と言う
「はい」「いいえ」で
答える質問とは違うのだ。

「何が食べたい?」は自由回答で、
「パスタでいい?」は二択だ。
違う問題なのだ。




自由回答である「何が食べたい?」という
質問に対して「パスタ”が”いいな」と答えずに
わざわざ「パスタ”で”いいよ」なんて答えたら
ひねくれた奴か病的に気遣いをしている人だ。

だが、「◯◯”で”いい?」に対して
◯◯”で”いい」と答えた際は
大概の場合はそんなひねくれてもないし、
そこまでの気遣いもしていないと思う。

何も考えていない。
ただ、言われたことをそのまま
オウムのように返しているだけだ。

なのに、
「◯◯”が”いい」と答えないと
怒られるなんておかしな話だ。





教育的なことならば
わからなくもないのだが、
「◯◯”で”いい?」と
聞いたのは自分の方なのに
「◯◯”で”いい」と答えられた途端に
不機嫌になる大人は勘弁願いたい。

「◯◯でいい?」と聞いて
「◯◯でいいよ」と答えられただけで
不機嫌になったり一喜一憂する人は、
何か気がかりなことがあるか
妙に気を遣っているか
やましいことがあるかのどれかだろう。




例えば、
「コーヒーでいい?」と聞いて
「コーヒー”で”いいよ」と答えられた際、
”で”に、過剰反応してしまう人は、

「本当はお茶のが良かったかしら」とか
「コーヒー嫌いなのは知っているけど
 お茶淹れるの面倒だし我慢しなさいよね」とか
「本当は淹れたくないけど仕方ないからな」とか
思っている可能性がある。

だから、相手が特に何も考えもせずに
「コーヒーでいいよ」とオウム返ししただけなのに
「あ・・・悪いことしたな」とか
「コーヒーだと不満なわけ?」とか
「せっかく親切にしてやったのに!」とか
思ってしまうのだろう。

このように
「それでいい?」と言う質問に
「それでいい」と答えただけで
勝手に怒ったり一喜一憂されると
正直面倒だ。

だから「それ”で”いい?」と言う質問には
瞬時に「それ”が”いい」と答えるのが
余計な波風を立てずに済む。




しかし、いちいち気にしているのも
ものすごく疲れるし、集中力がいる。

何か仕事など集中している時に
「コーヒでいい?」と聞かれたら
頭は仕事の方に持って行かれているので
わざわざ相手を気遣って先回りして
「コーヒーがいい」なんて
言っている余力はない。

隣にいれば「うん」だけで済むが
少し離れると声が届かない。
だから特に頭を使わずに
そのまま「コーヒーでいいよ」と
答えることになる。

精神不安定な人ややけに教育熱心な人で
ない限りは気にしないとは思うのだが、
『で』ごときで怒ったりする人も
なかにはいるので気が抜けない。

とはいえ、そんなことをいちいち
気にしているのもこちらは疲れる。

それに「コーヒー”が”いいな」の
”が”の部分を大声で言って
強調して答えるのもわざとらしい。
道徳の時間じゃないんだよ。

とにかく、頭を使わずに
相手を怒らせたり
必要以上に気遣いさせたり

させない簡単な答え方が良い。




では、何と答えれば良いのか。
そう考えてみたら、たどり着いたのが、

「うん、それで」だ。

『それ』の部分に、
聞かれた物の名前を入れてもいい。

例えば、
「コーヒーでいい?」と聞かれたら
「うん、コーヒーで」となる。

また、やや応用編として

「それでお願い」
「コーヒーでお願い」
「それでお願いします」
「コーヒーでお願いします」

と言う風に「お願い」をつけるのもありだ。

目上や気遣うべき相手ならば
このように答えれば良い。




ここでポイントなのは
「コーヒーで」と
ぶち切ってしまうところだ。

「コーヒーでいい?」と言う質問に対し
「コーヒーで」と答えるのは
何も考える必要もない。
とにかく答えるのが簡単だ。
何かしながらでも答えられる。

そして、相手も
ただそのまま返したのだと思い、
妙に勘ぐったり、気遣ったりはしないだろう。

「コーヒーで」とか
「コーヒーでお願いします」と言う答えは
さほどおかしくはないが、

「コーヒーが」とか
「コーヒーがお願いします」
だと文法的におかしくなる。

だとすると、『が』ではなく
『で』と言ったからと言って怒ったり、
必要以上に気にしてしまう人はいないはずだ。

そもそも『が』では通用しない
台詞になるからそういう発想にはならない。




とにかく、相手に余計なことを
考えさせないのが重要なのだ。
そして、自分も余計なことを
考えずに済むのが1番良い。

お互い思ってもいないことを
いちいち探り合いしたり、
気遣いしていたら馬鹿馬鹿しい。

「それ”で”いい」と言う答え方に対して
過剰反応しない人だとわかっていれば良いが
心の中ではどう思っているかわからないし、
普段は何とも思わない人でも、
疲れていたり、精神不安定だとすると
ちょっとしたことでも反応する可能性もある。

だとしたら、お互い何とも
思わないように初めから
きっかけを詰んでおけばいい。

だから、
「それでいい?」と聞かれたら
「うん、それで(お願いします)」
と答えておくのが安全だ。

余計な気を遣わせたくないし、
余計な気を遣いたくない人には
オススメの答え方である。


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「暇?」という問いには「用件は?」と返そう。

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「暇?」という問いには
万が一予定がなくても
「暇」と答えてはいけない。

一度『暇』と答えてしまったら、
くだらぬ予定で大事な休暇を
潰される可能性があるからだ。
聞かれたらまずは用件から。

「暇?」には
「用件は?」と返そう。

とはいえ、感じが悪いのもわかる。
会社で上司にやったらキレられる
かもしれない。

なので、
「あいていますか?」には
「どうかされました?」と
応酬しよう。


ものすごく心配している顔をして
「どうかされました?」と質問すると、
大したことのない声掛けの場合は
「いや、そこまでじゃないんだけど・・・」
という対応になる。

大したことのないことに、
今やっていることを中断させられたり、
先約をつぶされるなんてたまったもんじゃない。

もしそれがやるべきことや、やりたいことで
あれば取り組む必要があるが、
そうでなければ『今』やる必要はないだろう。


*****


「あいている?」と聞かれ
「あいています」と渋々
答える時には
心の中で
葛藤が
あるはずだ。

例えば、仕事中
「あいている?」と聞かれた場合、

「緊急の仕事はしていないけど
やっている仕事はあるんだよな。
とはいえ、今である必要もないから
予定変更もできるしな・・・
あいているということか」

という葛藤をふまえての、
「あいています」ということもある。

また、プライベートで
「あいている?」と聞かれた場合、

「誰かと約束したわけでもないから
決まった予定はないけど、本当は
家でゆっくり録画を見たいんだよな。
とはいえ、今である必要もないから
予定変更もできるしな・・・
あいているということか

という葛藤をふまえての、
「あいています」ということにもなる。

このように散々葛藤した上で
「あいています」と言った後に、
くだらない雑務を押し付けられたり
全く興味のないイベントに勧誘されると
貧乏くじを引いた気になる。
ああ、引っかかってしまったと。

「嫌ならはっきり断われよ」と
いう話かもしれないが、できれば
余計な波風は立てたくない。
円満に済ませておきたい。

それに、会社における
上司と部下の関係であれば
「嫌だ」だけでは通用しない。
その辺が難しいのだ。

このように・・・
「あいている」
と答えたことにより


「じゃあ、これやって!」
「じゃあ、来てね!」

などと言われると、
断りにくい。


緊急性も重要性もなく、
自分の先約を調整してまでも
やる価値のない、
予定をぶちこまれてしまう
可能性が高くなるのだ。

もし、自分の先約を調整してまでも
やる「価値がある」という予定であれば、
調整すれば良い。

いくら多忙で先約が入っていても
どうしても取り組みたい魅力的なことや、
取り組まなければならない事故処理などで
あれば、どうにか予定調整するだろう。

だからこそ、
「暇?」には
「用件は?」、

「あいていますか?」には
「どうかされました?」
応酬しよう。


ちなみに、その後
依頼された場合、
「急ぎですか?」
と改めて聞こう。

なかには相手の事情を何も考えず、
勝手に暇だと決めつけて忙しい時に
だらだらと話しかけてくる人がいる。

緊急性や重要性が高いのであれば
たとえ物凄く忙しい状況でも
すぐに取り組む必要がある。
しかし、そうでなければ、どうでもよい。

それに、
たとえ重要性が高くても、
緊急性がなければ
『今』である必要はない。

やるかやらないかは後で考えるとして、
まずは、内容を把握し、
緊急性と
重要性を
判断し、優先順位を
決める必要がある。


だからこそ、確認することが
お互いにとっても大事なのだ。


*****


追伸
「何してるの?」と聞かれたら
「何もしないをしてるんだよ」
くまのプーさんの名言で返すのもオススメ。
暇なんてものはない。休んでいるのだ。

 


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他人への怒りや悔しさをバネにし続けることは、他人に支配され続けていることと同じである。

いわゆる『成功者』と呼ばれる人の中で、
怒りや悔しさをバネにしてきてきた
人はわりと多い気がする。

絶対に勝ってやる!
まだまだ!もっと!もっとだ!という
いわゆるハングリー精神の部類だろう。

怒りや悔しさを感じた際、
そこで打ちのめされることなく、
努力して勝ち上がる精神力、
なかなか真似できることではない。
素晴らしいことであり、尊敬する。

ただし、この『怒りや悔しさ』の対象が
他人である場合、大変危険である。
完全に他人軸で外的要因だからだ。

成功したいという目的が、
相手を打ちのめすことなど、
全て『相手』が基準になる。

だから、そのこと自体
やりたくてやっている
ことではない。

何かを始めたきっかけが
他人への『怒りや悔しさ』で
ある人は多数いるだろう。

ただし、いつまでも
それだけでやっていくのは
辛いものがある。

相手を打ちのめして
スッキリしたいのに
毎回『怒りや悔しさ』を
思い出さなければならない。

しかもそれが原動力に
なっているので、
相手を打ちのめした後は
一気に無気力になっしまう。
人生の目的を失ってしまうからだ。

結局、原動力となる
『怒りや悔しさ』を新たに
作るしかないので、
いつまでたっても
『怒りや悔しさ』から
抜け出すことができない。

もしくは、勝ってしまうと
原動力がなくなってしまうのを
薄々感じているから
勝たないように動いてしまう
可能性さえある。

怒りや悔しさはパワーがあり、
一気に起きる衝動なので
カンフル剤には丁度良い。

だが、あくまでカンフル剤なので
その場で一気に効くだけだ。
持続性はないので、毎回
打ち続けなければならない。


*****


現状に満足し切らずに
高みを目指す姿は素晴らしい。

何か自分からしたいことがあり
過去の自分に勝つために
日々努力するのであれば
精神的にも肉体的にも
さほど辛くはないだろう。

ただし、他人への怒りや悔しさを
原動力とし、動いているのであれば
突如無気力になってしまう危険性がある。
一体自分は、何がしたかったのかと。

他人への怒りや悔しさを
簡単に手放すことは難しいだろう。

だが、それだけを原動力に
生きていたらいくら『成功者』と
呼ばれる立場になっても辛いものがある。
一生それと寄り添い続けなければ
いけないからだ。

他人を軸にする限り、
振り回されるは確実だ。

他人への怒りや悔しさを原動力に
し続ける限りは、それに自分も
支配されてしまう。

たとえ「勝った」と感じたとしても、
支配したつもりが支配されているのだ。

闇落ちしてしまった人を見ていると
ちょっとした考えの違いで
変わってしまうのだとも感じる。

「自分がやりたいからやる」

この価値観が、
たとえ回り道になったとしても、
着実に成功へと導くのだろう。


*****


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4月16日(日)入場無料!
『好きを仕事にする見本市』
という
テーマのかさこ塾フェスタ』
出店します。

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4.16東京 – 好きを仕事にする見本市~かさこ塾フェスタ

▲公式ホームページはこちら。

『好き』を仕事にした、かさこ塾卒業生が
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プレゼンしたり、ライブをやったりしています。
誰でも無料で入れるので、
ぜひぜひいらっしゃってください。

なお、私は、
『集客コンサルタント

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